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トップページ » うどん小話 » 第五巻 目次(81〜100) » その九十四 器(どんぶり)

うどん小話

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うどん小話 その九十四 器(どんぶり)

小話も九十四まできました。あと少しで一応の目標であった百話になります。

百話の中にどうしても書かなければならないことがあります。それは当店がどうして砥部焼きの"どんぶり"を使うようになったのか・・・・? ということです。

30年前に開店したのですが、その当時、香川県内のうどん店ではどこも砥部焼きの"どんぶり"は使用していませんでした。もっとも値段が他の焼物の3倍はします。当店も開店後3年間は、徳島県の大谷焼きの"どんぶり"を使っていました。

大谷焼きはかつて水がめやスイレン鉢などの大物づくりの焼物として知られていました。徳島の名産、藍染の染料の藍(アイ)を入れておく容器として大がめを焼いたのが大谷焼きの生産を盛んにした一因だったのです。しかし、需要が近年落ち込み、大がめも傘たてくらいにしか使われなくなったのです。

そこで大谷焼きも方向転換を迫られ、花びんや茶碗などの日用雑器に新たな活路を見いだしていきました。屋号入りの酒の大徳利などの生産も盛んで、当店も開店の記念品として200個、一升入りの徳利を制作しお客様に差し上げたことをおぼえています。現在、その当時の徳利が3個店内にあります。

ではなぜ大谷焼きの"どんぶり"から砥部焼きの"どんぶり"に変えたのか・・・・、と申しますと、理由が二つあったのです。

一つは「高台」の部分の釉薬が弱く欠けやすいのです。お客様から見ると「高台」の部分は見えないのですが、手に取りますと欠けている部分が指に引っかかりあまり気分のいいものではありません。「口縁」の部分は比較的強く、欠けることはありませんでした。

もっとも大谷焼きは陶器、砥部焼きは磁器なので窯(かま)の温度が違います。当然磁器の方が硬いのです。その上、砥部焼きは全体に釉薬がかかっていますから「高台」も強いのです。

この「高台」の弱さが、砥部焼きにかえた理由の一つです。

あと、もう一つの理由は次のページに掲載します。

食べ物と器は男女の関係、いい"器"は、"食べ物"を引き立てます。

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