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トップページ » うどん小話 » 第六巻 目次(101〜120) » その百十二 うどん屋(パート4)

うどん小話

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うどん小話 その百十二 うどん屋(パート4)

四国路へ来るほとんどの人達は、連絡船を利用していました。私も帰省する時は必ず乗船し、"うどん"を食べていました。

高松港が近づくと屋島の島影が見え、玉藻城もかすかに見えてきます。こうなりますと、胸はドキドキ・・・・それもそのはず高松駅で彼女が待っているのです。二人でまた"うどん"を食べ、高松へ帰ったことを実感するのでした。

この思い出の連絡船が廃止になったのは昭和63年4月9日です。(78年間の歴史に幕が下りました。) 翌日の4月10日から瀬戸大橋線が開通となり、便利になったのですが、寂しくもありチョッピリ残念な気もします。

そこで連絡船として活躍していた土佐丸・伊予丸・阿波丸・讃岐丸の行く末について調べてみました。

讃岐丸は「瀬戸大橋」の見学者を乗せる船としてしばらく活躍していましたが、平成9年2月、神戸のナブティクマリタイム社に売却されています。

伊予丸は昭和63年6月、長崎県のハヤシマリンカンパニーに売却され、平成5年に上海に向け出港したことがわかっています。たぶん中国上海周辺で活躍していることでしょう。

土佐丸は昭和63年6月広島県の常石造船所に売却されたあと、大改造され定期船・観光船として活躍中。

阿波丸は昭和63年6月、伊予丸とともにハヤシマリンカンパニーに売却され、平成5年からインドネシアでフェリーとして頑張っています。この阿波丸の機関士として永年勤務していました"U"さんの奥さんが、現在当社の経理として現役で頑張っております。これも何かの縁でしょうか。

これで連絡船のページは終わります。

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