うどん小話 その百六十七 金と年越ソバ
明けましておめでとうございます。今年も無事正月を迎えることができました。私にとっては5度目の年男です。
昔であれば赤い"ボウシ"と"チャンチャンコ"を着て還暦の祝いをしたものですが、今の私はまったく嬉しくもなんともありません。もっとも平均寿命が延びていることもありますが・・・・。正月二日に、下の孫が補助輪を取り外して、初めて自転車に乗ったことの方が嬉しかった。
とは言うものの、この歳まで健康であったことと、子供たちがうどん屋を継いでくれたことを、神さま、御先祖(仏)さまに感謝しています。赤い"ボウシ"と"チャンチャンコ"は着ませんが、心の中は赤子(せきし)に還り、これからも美味しいうどん作りに励みます。
年末に年越しソバの話を書きたかったのですが、不景気とはいえやっぱり師走です。飲むことの方が優先してしまいました。そこで、年が明けての年越しソバの話になりました。
私が小学生の頃、母親(93歳で健在)が大晦日だけは、ソバを作ってくれていました。もっともうどんがやゝ黒くなっている程度のソバでした。
当店も開店後3年間は年越しソバのメニューを作っていたのですが、あまり売れず販売中止(小話その六十二参照)。このようにうどんの本場讃岐でも、大晦日にはソバを作り食べていたのです。
この年越しソバの風習は江戸時代中期から江戸を中心として行われるようになりました。江戸の金細工の職人は大晦日の大掃除の際、ソバ粉を練った団子で仕事場に飛び散った金粉を拾い集めました。この金粉を集めたソバ団子を煮ると、ソバ粉が溶けて金粉だけが残ります。このような方法で貴重な金粉を扱っていたのです。これと江戸時代の商人は売掛金を大晦日に集金します。この二つの"金粉"と"集金"をひっかけた洒落(しゃれ)から大晦日はソバとなるのです。
余談になりますが、金細工の職人が使う小槌はタヌキの皮で作っており、金箔を延ばすのに最適なのです。こゝからタヌキの○○は千畳敷という言葉が生まれました。1センチ角の金(4℃で19.3g。ちなみに水は1g)を金箔にすると10平方メートルの広さになり、その厚さはなんと1万分の1ミリとなります。現在、日本でこの技術を継承しているのは石川県の金沢地方だけとなりました。
おめでたい正月なので今日のページは「金」で〆ました。