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トップページ » うどん小話 » 第十巻 目次(181〜200) » その百八十七 フォッサ・マグナ(パート4)

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うどん小話 その百八十七 フォッサ・マグナ(パート4)

日本という国名が決まったのは浄御原令(きよみはらりょう)という法令が施行された689年とされています。浄御原令は天武天皇が編さんを開始して、死後その皇后で後に即位した持統天皇が施行した法令です。

対外的には大宝律令が制定された701年の翌年、中国大陸に到着した遣唐使の粟田真人が則天武后に対して「日本」の使いであると述べたのが最初といわれています。聖徳太子の時代に中国に送った遣隋使は「倭国王」の使いと言っております。このことからも、この浄御原令が施行されるまで我々の先祖は「倭国」であり「倭人」であったわけです。

それでは「日本」という国号はどういう意味かと申しますと、随の皇帝が怒ったと言われている聖徳太子の国書に「日出づる処の天子」と言う有名な言葉があります。その"日出づる処"が背景にあることは確かだと思います。すなわち"日のでるもと"・・・・「日本」となるのです。

以上のことがわかったのですが、そうしますと今まで縄文時代の「日本」とか、弥生時代の「日本人」とか、という表現方法は誤っていたことになりませんか・・・・?。なぜならば、689年まで「日本」はなかったのですから。

これ以上調べますと頭が混乱してきますので、次ページへといきます。

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