うどん小話 その百十五 うどん屋(パート5)
明けましておめでとうございます。今年は門松ドロボーも現れず、無事正月を過ごすことが出来ました。
秋祭りの車楽(だんじり)の話を書いてからもう2ヶ月がたちました。うどん屋の話を早く書きたかったのですが、やっぱり師走です。不景気とはいえ忘年会を数回こなしました。
やっと平成14年1月7日に店が休業(毎週月曜日)でしたので、自分の部屋の大掃除をすることが出来ました。カレンダーの掛け替えも出来ました。
今年の初詣での人出は例年になく少なくて、香川県では昨年の48%減であったそうです。もっとも元旦から寒風(雪まじり)がふき、今日まで続いている状況です。"不景気風"でしょうか・・・・?
香川県の"うどん"が全国的になった一番目の功績は、国鉄(現JR)の連絡船上の"うどん"であったことは小話その百十一で書きましたが、二番目は1970年3月14日~9月13日まで開催した大阪万博です。
この当時、日持ちのする"うどん"がなかったのです。うどん玉は「生」ものです。1日しかもちません。
この「生」のうどん玉を1ヶ月ほどもたす真空パックが開発され、大阪万博の香川県パビリオンで発売されたのです。
これが見事に当たり、ものすごく売れました。これで日本中の人達が、香川県に"うどん"ありと再認識したのです。
ちなみに日清カップラーメンもこの年に開発され、これまた爆発的に売れたのです。(NHK:プロジェクトXより)
この真空パックを開発したS麺業の先代K社長とY樹脂の話は次のページにいたします。
まさしく、香川県版"プロジェクトX"でした。