うどん小話 その百三十五 饂飩のルーツ(パート2)
うどんのルーツである饂飩(フゥンドゥン)について書くことになっていたのですが、"さぬき市"の市長選が始まってしまいました。
全国的にも注目される市長選でした。旧大川町・旧津田町・旧寒川町・旧長尾町そして旧志度町の、五町対等合併にともなう首長えらびでしたので、結局、各町対抗戦になり、人口の最も多い志度町のA町長が当選しました。私も志度町民なのでA町長を応援し、市長選を戦いました。なんでも勝つと言うことは気持ちのいいものです・・・・。
こんなわけで"うどん小話"をしばらく休んでいたのです。もうそろそろ書こうと思っていたところ「ワールド・カップ」の始まりです。もう集中力を無くしてしまいました。
こんなにサッカーがおもしろいとは思ってもいませんでした。空手の試合より乱暴で危険です。格闘技そのもの。でもゴールを決めた選手の姿は美しい。そのうえ日本チームの強いこと・・・・!!毎夜、遅くまでチャンネルの切り替えばかりです。
今日は一日中事務所で仕事でしたので、やっと「小話」を書く"気"が湧いてきました。
さて饂飩(フゥンドゥン)ですが、シルクロードの要衡トルファンの王墓(1400年前の墓)から副葬品の一つとして、ミイラ化された"ギョウザ"がごっそり出土しました。この"ギョウザ"が中国で言うところの饂飩なのです。当時の中国の文献に"ギョウザ"とおぼしきものがみられないので、これが「ギョウザ中央アジア起源説」の根拠となっています。
もっとも日本のように焼いて食べる習慣は中国にはありません。焼ギョウザが日本で広まったのは、太平洋戦争後の数十年前からのことです。
1400年前といえば、三蔵法師・孫悟空の時代です。この時代、麺食は漢土より中央アジアの地域が進んでいたのです。
ちなみにトルファンは「西遊記」の舞台の一つである火焔山のあるところです。
孫悟空が金斗雲に乗り"ギョウザ"を食べているシーンを想像してみてください。但し、この"ギョウザ"は焼ギョウザではありません。