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トップページ » うどん小話 » 第七巻 目次(121〜140) » その百三十六 饂飩のルーツ(パート3)

うどん小話

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うどん小話 その百三十六 饂飩のルーツ(パート3)

インドに法を求めて唐を出発した三蔵法師は、トルファンに君臨する高昌国の客となり、その王麹文泰から大変な歓待を受けた。 ペルシャ風に、パセリ・ハッカ・ニラなどの薬味をきかせて煮たり、焼いたり、蒸したりした羊・鶏・ラクダの肉料理。葡萄酒・ザクロ・メロン・乳製品などなど・・・・。たぶん饂飩も出てきたことでしょう。

中国に小麦が伝わるのはB.C.二世紀で、その後回転臼が西域から伝わり、麺づくりがいちじるしく発達しました(小話五十五〜六十参照)。 三蔵法師の時代の後のことです。

大量にひかれた小麦を絹のフルイでふるって、麩(フスマ)を除いたキメの細かい粉を得る技術があってこそ品質の良い麺が出来るのです。この技術が高昌国にはすでにあったのです。

高昌国の支配層は漢人でしたが、住民の大多数は胡人(トルコ・モンゴル・イラン系)で、この饂飩は胡人特有の食べ物でした。土地の言葉で"ジュワワ"と呼んでいたそうです。

この"ジュワワ"は中国の饂飩と比べ皮が薄く艶のあるものでした。それもそのはず"艶"があるはずです。この"ジュワワ"は女胎をかたちどり、この麺の結び目は玉門だとのことですから・・・・。

多産と豊穣の呪い(まじない)でもありました。

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