うどん小話 その百三十八 饂飩のルーツ(パート5)
三蔵法師の話をするつもりが、私の旅行記になり、長くなってしまいました。
バーミヤン国(現在のアフガニスタン)に入った三蔵法師は、王城の東北の山の絶壁に立った金色にキラキラ輝いている大仏に驚きました。その大仏はなんと55mもあったのです。古来、アフガニスタンは民族往来の十字路でした。寺院の壁画にはインド・アーリャ系のパシュトン族、ペルシャ系のタジク族、トルコ系のウズベク族、モンゴル系のハザラ族・・・・それぞれの先祖とおぼしき人々が仲良く暮らしている様子が描かれていたといいます。
このように三蔵法師の時代(629年唐を出発)は、仏教文化・麺文化ははるかに中央アジアが進歩していました。
現在のアフガニスタンでもギョウザ(蒸しギョウザ)、饅頭(日本ではマンジュウと発音しますが、現地ではマントウと言います。)は、観光地で良く売れているそうです。但し、今は内戦状態なのでサッパリ・・・・。
話は変わりますが、アフガニスタンのことを「アフガン」と表現するのは日本のマスコミだけです。海外のテレビニュース(例えばABC・BBC)を気を付けて聞いてみてください。「アフガン」という言葉は使っていません。アラブ各国から馳せ参じた"イスラム義勇兵"たちをアフガニスタン人と区別して「アフガン」と呼ぶのです。アルジェリア人約3000人、エジプト人約2000人、その他イエメン・スーダン・パキスタン・シリアなどの国々の人間のことです。
日本のマスコミは「アフガン」とはアフガニスタンの略称だと勘違いをしているみたいです。
アフガニスタンの"マントウ"も"ギョウザ"も、原材料は同じもので食べ方が違うだけのようです。結論として饂飩のルーツは中央アジアの"マントウ"・"ギョウザ"に行き着きました。
平和・豊穣・多産の「おまじない」である"ギョウザ"・"マントウ"の発祥地が、今まだ内戦中なのには心が痛みます。
「ロヤ・ジルガ」が成功しますように・・・・。