うどん小話 その百六十五 鍋奉行と悪代官
小話を書き始めて三度目の師走です。二年前の年末には門松ドロボーの事件もありました。年々、不景気風の風速が強くなっているような気がします。それでも友人・知人との忘年会はやらないわけにはいけません。ということで、昨夜は高松市内の料理屋さんで鍋(うどんすき)を囲んでの会となりました。
そこで今日は鍋料理について書いてみます。
古くから日本には、土製や鉄製の鍋を使って煮炊きする調理方法がありました。しかし、煮ながら食べる方式の鍋料理ができたのは江戸時代末期のことです。封建社会の時代が長く続いた日本では、家族の中にも序列があり、皆で同じ鍋を囲むといった料理は存在しなかったのです。
初めて鍋料理の店が登場したのは、文化・文政、天保(1804~1840)の頃で、「どじょう鍋」・「しし鍋」・「桜鍋」などを出す店が江戸の街に登場し、七輪や火鉢に鍋をかけて客をもてなしました。
「しし鍋」とは猪の鍋のことで、「山クジラ鍋」・「牡丹鍋」とも言います。「桜鍋」は馬肉の鍋のことで、「咲いた桜になぜ駒つなぐ」と言う小唄の一節からこの名称はきています。馬肉が桜の花の色をしているからではありません。こうした鍋料理をいっそう盛んにしたのが、明治初期から大流行した牛鍋(現在のすき焼き)です。
やがて鍋料理は山間部で囲炉裏を囲んで集う鍋料理として発達し、都市部では座敷に木炭のコンロを据え、それを囲んで食べる様式が各家庭に定着するようになりました。現在、日本各地で有名なものだけでも29種類の鍋料理があると料理本にあります。全部書きたいのですが、ページ数が多くなりますので割愛します。
四国でははただ一つ香川県の「打ち込みうどん鍋」が紹介されていました。それもそのはずです。"さぬきうどん"の元祖は"打ち込みうどん"にあります。今でも山間部へ行けば「打ち込みどじょううどん」のおいしい店が数軒はあります。
家庭料理として発達していった"打ち込みうどん"が現在は忘れられ、機械で作った麺を「さぬきうどん」と称して売り出している店が多くなりました。郷土料理の伝統は守りたいものです。
奉行と悪代官の話をするつもりが横道にそれてしまいました。この話は次ページでいたします。